悲しみを、見つめる

なんと…

84枚、写真を撮っていました。

だけど、残っていたのが上の4枚だけでした。

 

iPhone内の写真がとんでもないことになっていたので、便利な共有アプリを使って管理したところ…っていうのが理由なのですが。

便利なものにかまけるなよ、というサインなのでしょうか。

記憶を頼りに、書きます。

 

 

 

いわきとは違う、その海は、やはり、なんにもありませんでした。

風が異様に強くて、本当に吹き飛ばされそうになるくらいの強風で、とても寒かったです。

そこでは、なにもない土地に、長く長く空に伸びている細い木が何本も何本も立っていました。

 

壊れてへしおれたままの防波堤。

置いたままのがれき。

伸びたまんまの草木。

 

おかしい、ことなんだよな、と、あんなものが壊れるなんて、と想いました。

 

すぐ側の、土の上に骨があって。

恐らく、犬の、頭の部分でした。ありあり、と、形が残っていました。

ここにあったというよりは、流れ着いたのだろう、と。

当たり前のことを書くようですが、

生きていたのだよな、この犬は、と想いました。ただそれだけ。

 

私は、何も、感じていなかった?

という表現が一番しっくりくるというか。

言葉にはならなくて、ただただそこには現実があったのです。

私の知っている現実とも違う。誰の現実かもわからない。

私の乏しい言葉なら、悲しみ、それが歯がゆい。

 

 

南相馬で泊まった宿は、山小屋、と呼ばれる、本気の山小屋でした。

でも中は、しっかり生活できる環境があって、ストーブがとても暖かかった。

雨風を凌げる場所で寝れることに、幸せを感じたりもした。

みんなでコンビニ弁当を広げて、色んな話をした。

それは、どれも。私にとって、小さな喜びでした。

大切にとっておいたお話を、いくつもいくつも、お話できたことはとても嬉しかった。

 

着いてすぐ、夜空はとてもいわきに似ていて

タカヨさんがこの南相馬から連れて帰り、現在カメルーン亭のワンコとなっているソマの兄弟ワンコ2匹が元気にお出迎えしてくれた。

そして、桜の花びらが顔について、驚いた。

まだ咲いていたのです…!

 

そして、その桜の木の病気、についても聴きました。

「ウグイス病」という、木の枝の先端に葉っぱが集中して固まって育つ、菌の感染。

木の病気なのだそうです。

早めに処置をしないと、その枝葉が地面に落ち、それが肥料となり、またそれが広がる、という。

だから、プロのキコリを探して、話をしたいんだ、というお話でした。

木にもそんな病気があるんだ…と、翌日、陽の照っている時にまじまじと見てみたら、無知の私でもハッキリと分かるくらい

枝葉が集中して、そこだけが浮きだっているようでした。

ここのソメイヨシノが全滅してしまう、という話を聴いて、とても悲しい気持ちになった。

 

朝起きたら、お客様夫婦が来ていた。

まどろんだ日曜日の朝、コーヒーを飲みながら、大人達が話していて、

私はねぼすけの小学生に戻った気分。

みんなにおはよう~~~と言われて、頭が働かないまま、外に出て

ワンコ達と戯れた。

 

色んな人達が、昼のステージに、夜のステージ、足を運んでくれて、想い想いに楽しんでくれていることが。

自然に隣で笑ってくれている人がいることが、嬉しかった。

 

ラーメン屋さんの店長の言葉に涙が出そうになった。

ひょうきんに笑い転げで、踊って、いる人達を見て、私は元気になりました。

 

なにもない、ではなく。

そこには、笑顔が、あったのです。

 

 

心からのありがとうを言ってくれているんだこの人、と

心が認識して。

私の心が動揺して、涙が出そうになった。

 

こちらが、ありがとうなのに、と。

 

皆さん本当にありがとうございました。

 

もっともっと濃く細かく、書けた気がするんだけど。

私の記憶はこんなもんなのかも知れないし、あったとしても書けないようなもんなのかもな。

ここらで終わりにします。

 

私の側で、笑う人達の、泣く人達の、

心は、少しでも、守りたいなって。

そんなことを感じ続けています。

 

かけがえの、ない、いのち。だ。